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December 09, 2005

二階堂黎人氏の掲示板を興味があるから読んでる。
我孫子武丸氏も登場し、ますますおもしろい……ゴホゴホッ……失礼、ますます興味深い議論になってきた。
我孫子氏もかなり変なことを言っていると思う。
氏は形式と質を区別せよとおっしゃるが、両者はそんなに簡単に区別できるものではない。二階堂氏がフィーリングで本格といっている部分を「質」と呼んでいるということかな。それならいいのだけれど、もしフェアプレイのことをおっしゃっているのなら、フェアプレイは形式的なものだと言えると思います。
「本格としてアンフェア」という言い方ならオーケーらしいのだが、二階堂氏は本格であるための条件としてフェアプレイを挙げているわけでしょう? なぜ「「フェアじゃないから本格ではない」と言ってはいけない」と我孫子氏が決める権限があるのかわからない。
我孫子氏の「本格観」も二階堂氏の「本格観」も相対的なものなら、どちらに対しても定義を押し付けることはできないはずです。我孫子氏が掲示板に書いていることは、まさに押し付けのように思われます。(定義を押し付けてはならないと自ら言いつつも、無意識に押し付けているのです。)

この論争ではっきり分かった、興味深いことがひとつだけある。
それはフェアプレイについてのミステリファンの認識の違いだ。あるミステリファンは本格であるための条件としてフェアプレイを挙げ、それを満たさないものは本格と認めない。別のミステリファンは、フェアプレイを満たさないものも本格と呼ぶ。

この認識の違いが今回の論争を生んだのだと思う。
二階堂氏の意図的な挑発が根本的な原因なのは間違いないけれど、氏に必死に抗弁する人も、逆のベクトルで似たようなことをやったとしか思えない(もちろんなかには公平な人もいたようだが)。


ミステリ批評の貧しさはどうにかならないものか。
ロジック、プロット、トリック……。Aという作品の批評を読む。次にBという作品の批評を読むと、ほとんど同じことが書いてある。似たような言葉で、似たようなことが書いてあるだけ。
批評の貧しさは、その対象の貧しさをいくらかでも表していると僕は思う。その逆も真。批評の豊かさは、その対象の豊かさを表す。

僕の本格観を披瀝する。
魅力的な謎、魅力的な解決。
ロジックの面白さ。
トリックの面白さ。
プロットのひねり。
などなどかな。これらがどれかひとつでもすごければ「本格」。「オレ本格」。
主観で何が悪いんだよって感じですね。
しかし贅沢を言えば、「フェアプレイ」くらいは欲しい。伏線とかどうでもいいから、手がかりをちゃんと置け、と。

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