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August 12, 2005

ゲーデルの不完全性定理の最も重要なアイデアは、メタ数学という自然数論の公理系としての完全性・無矛盾性を証明する立場そのものを、ゲーデル数化というテクニックによって、ふたたび自然数論の公理系の中に繰り込んだ、という点にあると思う。
つまり自己言及性を意識して生み出そうとした。ゲーデルは不完全性定理を証明するまえに、パラドックスを勉強したらしく、パラドックスがけっきょく自己言及であることに気がついたのだろう。「私は証明できない」は決してパラドックスではないけれど、自己言及であることは確かで、それゆえに、不完全性が公理系の内部で証明された。
自己言及は、形式の中で奇妙な歪みを生むことがある、と考えてよいのではないか。これは感覚的に考えても納得できることだと思う。

だが、くりかえしていえば、それはゲーデルの定理を他の領域に翻訳することであるよりも、逆にゲーデルの定理こそ、本来数学とは無縁な問題、すなわち「言語は言語についての言語である」という自己言及性の問題が数学のレベルであらわれたのである。ゲーデルの定理が形式体系一般に当てはまるとすれば、それは「形式化」が数学そのものとは別のところからきてるからだ。
         ~柄谷行人「形式化の諸問題」~

この文は、ゲーデルの不完全性定理と「ゲーデル的問題」の意味の違いを理解するのにちょうどいいと思う(ホフシュタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』に触れた後でこの文が出てくる)。柄谷行人によれば、形式化に付きまとう「ゲーデル的問題」があったから、ゲーデルの不完全性定理は証明された、ということ。


野矢茂樹『論理学』は昨日やっと終わった。
「不完全性定理」の章は難しくて時間がかかってしまった。完全には理解できなかったが、アウトラインは把握できたと思う。

論理と推理について独学を続けるつもり。

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