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August 03, 2005

推理小説の批評などで「作者は犯人に近い立場で、読者は探偵に近い立場にいる」というのは一面的過ぎる見方だと思う。
僕などはむしろ探偵のほうが作者に近いのではないかという気がする。コロンボにも、ある推理作家に対して「あなたは犯人の立場で書いているんじゃない。探偵のように書いている」というセリフがあった。つまりこれを自分のことを言ったことと捉えれば、倒叙ものを作る場合でも、探偵の側に立って書いているということではないか。
「このような推理がなされなければならない」→「よってこの手がかりがいる」→「だから犯人にこう行動させる」。特にロジックものの場合はこうやることが多いはずだ。
(倒叙ものがロジックものだと気づいていない読者が多いのは意外だ。何度も書いたことだけれど、倒叙は謎と解決がない。よって手がかりや推理が大事なのだ。ロジックものと同じだ。)


ホワイに重点をおいて、その解明に論理のアクロバットを用意する。これが、現代のパズラーです。

             ~都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』~

SAKATAM氏やMAQ氏の論考にあるように、ホワイの謎は、厳密に論証的に解明することはできない。クイーンですらしばしば(おそらく詐欺であることを分かっていて)、こういうことをやっている。ある行動をする理由を箇条書きして、一個一個消去している。しかしこれは偽の消去法だろう。理由は限定できないはずだ。
ところが、クイーンの作品にはホワイを扱うものが多い。なぜか?
それはミステリには謎が必要だからだ。「誰が犯人か?」はあまりに弱い謎であり、ミステリを読みなれた読者には飽き飽きしている謎だ。つねに魅力的な謎を模索するうちに、さまざまなホワイの謎を設定したのだろう。ホワイが好都合なのは、厳密に論証的に犯人を指名したら、後は想像で、ホワイの答えを与えればよいという点があるからだ。
なぜハウではないか? ハウは方法を問うものである以上、その方法だけで犯人を限定しやすい(→犯人限定のロジックの活躍する場所がない)というのがひとつ、もうひとつはトリックをロジックで解くことが難しいからだろう。

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