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June 16, 2005

論理とリアリティ

リアリティという言葉を使うときに注意しなければならないのは、現実が時代によって変遷していくことだ。

僕は論理というものをそれほど重視していない。ミステリにおけるロジックは好きだが。
論理は手段であるべきで、目的であるべきではない。
論理の綱渡り作業は詭弁的である。それは時として大きな誤りに導く。だから、僕は僕なりの「常識」や「信念」で、構造ではなく中身で物事を考えていると思う。その際には僕はまったく「クイーン的」ではないわけだ。

しかし現代に生きる人間として、僕の信念は信念を持たないことであり、そのつど判断することでもある。
「常識」や「価値」が揺らいだ現代に生きるためには、人は演繹的になってしまう。武器は論理と、はっきりした<手がかり>だ。それはいくらか古典的な僕には好ましいものとは思えないが、現代人の多くがそうせざるを得ない状況にあるのは事実である。悲惨なまでに「クイーン的」な有様だ。
そして「常識」で物事をはかる人間にとっては、彼らが「歪んだ」人間として見られることもあるだろう。

僕には麻耶作品に見られる歪み(登場人物の歪みや真相の歪み)を、アンリアルなものだとは決して思わない。筋は通っているが、歪んでいる。論理から常識が欠落している。それが現代的ということではないだろうか?

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