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May 10, 2005

フェアプレイ

「犯人当て小説におけるフェアプレイについて」
フェアプレイが謳われるようになったのはいつからなのか? ヴァン・ダインの二十則やノックスの十戒は明らかにフェアプレイを念頭において作られたものと思う。ノックスは十戒で、「これこれの文章を読まれたら、続けて真相が明かされるので、読者は一度本をとじて考えてみられるといい」みたいなことを書いていた。だから、ノックスは探偵小説を読むとき当てようとする人だったわけだ。ヴァン・ダインもきっとそうだった。エラリー・クイーンも、推理しながらミステリを読むことを好んだだろう。
ミステリのファンなら、誰でも、解決編に入る前に推理する、ということをやったことがあると思う。ちゃんと推理して「これが真相だ!間違いない!」と意気込んで続きを読んでみると、その推理を裏切るような無茶苦茶な真相だった……そういう場合に、読者はアンフェアだと怒る。その結果二十則や十戒ができたのだと思う。
クイーンを例にとって、ロジックが先か、フェアプレイが先かを問うことは、あまり意味がない。作品を結果として見て、クイーンの場合は、ロジックとフェアプレイが緊密に結びついている、と言えるだけだ。ロジックがないフェアプレイも十分にありうる。
僕個人の事を言わせてもらえば、フェアプレイにはあまり関心がない。むしろフェアプレイから派生してくる論理性のほうに興味がある。数学や論理学の世界ではないのだから、完璧なロジックはありえない。しかし論理は論理だ。推理の面白さというものはある。現実に論理が適用されることに驚きを感じる。僕は完璧なフェアプレイを実現しようとは思わない。僕の作品に出てくる探偵は証明しようとするのではなく、推理して真相を見つけ出そうとするだけだ(探偵クイーンでさえそうだと信じる)。僕は探偵が推理できるように手がかりを配置する。読者に対して手がかりを示す場合も同じ気持ちである。僕は素直に解かれることを期待して素直に手がかりを配置する。なるべく別解を排除するが、それはあくまで念のためである(なぜなら読者がそこまで考えるとは思わないし、別解を考慮しなくても真相を見つけ出すことはできる。また、読者は手がかりから推理するとは限らない。たとえば作者のぎこちなさから推理するかもしれない)。フェアプレイはこれで十分だと思う。

リンク先の論考には全面的に賛同する。僕がフェアプレイについて考えているのは上のようなことだ。

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